大きな和室。
その部屋には昼寝用の布団が一つだけひかれている。
そこに二人の少女が横になっていた。
一人は気持ち良さそうに眠っており、もう一人はその寝顔を眺めている。
眠っているのは幼い木乃香。 起きているのは幼い刹那。
刹那はおもむろに木乃香のほっぺたを指で突付く。
少し身じろぎするも、起きる気配の無い木乃香の反応を見て、刹那の顔に笑みが零れる。
そして、ゆっくりと木乃香の顔を覗き込むと……
ブブブブ……
メールの着信を知らせる携帯の震えが刹那の意識を現実へと引き戻す。
メールは木乃香から送られたものだった。
内容は部活が長引きそうだから連絡するまで待ってて欲しい、というもの。
刹那は返信メールを送信すると、目を閉じて考え事を始めた。
今、刹那が居る場所は世界樹の頂上。
普段なら木乃香を迎えに行く時間まで部活に参加しているのだが、今日はそういう気分になれなかった。
今朝、木乃香が手を離したのが引っかかって、とても集中できるとは思えなかったからだ。
刹那は一人になりたい時、よくこの場所に来る。
普通の人にとって樹高270mの世界樹の頂上まで登る事は並大抵のことではない。
中には簡単に登って来る者も居るが、滅多に会う事は無い。
刹那はゆっくりと瞳を開け、携帯の待ち受けにしているシネマ村の写真を見ながら、もう一度だけ考えてみる。
何故、木乃香は手を離したのか?
刹那が持っている情報から導き出せる答えは一つしか無かった。
ならば、木乃香の幸せの為に、自分は身を引こう。
刹那はそう決意した。
その日の夜、木乃香と刹那の二人は近衛門の屋敷の客間に居た。
二人の間に溝ができてしまったのは、自分達魔法関係者が木乃香にその存在を隠していたから。
そう考えた近衛門は、木乃香の祖父として、少しでも早く二人の溝が無くなる様に気を使っていた。
早朝の近衛門の用事というのが、「放課後、用事があるから二人でわしの屋敷まで来なさい」というものだった。
その言葉通り二人で近衛門の屋敷に行ったところ、何故かそのまま泊まる流れになってしまったのだ。
二つあるベッドのうち、一つはもぬけの空。
そしてもう一つのベッドからは楽しそうな話し声。
「ひゃっ」
「せっちゃんの足ぬくぬく〜」
「いえ、ぬくぬくじゃなくて、靴下履きましょうよ靴下」
「嫌や〜 せっちゃんの足がええの」
言いながら木乃香は刹那の足に自身の足を絡める。
「あ、あの…… お嬢様。 やっぱり一緒に寝るの止めません?」
「足ひゃっこい……?」
「いえ、そういうんじゃないんですが……」
どこか言い難そうにしている刹那に木乃香は寂しそうな顔をする。
「せっちゃんがそうしたいん?」
「はい……」
「ホンマに?」
「はい……」
「そか…… なら、しゃーないな……」
木乃香はそう言ったが、同じベッドで寝る事は譲る気が無いらしく、絡めていた足を解いてそのまま目を閉じた。
「おやすみ、せっちゃん」
「おやすみなさい……」
その日を境に刹那は木乃香と距離を置いた。
以前のように、木乃香から逃げるような事はしない、話しかけられれば普通に会話もする。
しかし、木乃香と話す回数はどんどん少なくなっていった。
近衛門の屋敷に泊まった日から数日。
授業の合間の休み時間、刹那は真名と話すことが多くなった。
昼休みも仕事の打ち合わせと言って木乃香と一緒に居る時間が減った。
木乃香はそんな刹那との距離に寂しさを感じていた。
そして、あの日を境に刹那がどこか遠くへ行ってしまったような…… そんな錯覚も。
毎日一緒に登校している。
下校だって毎日ではないが二人で帰る事もある。
それでも、木乃香は寂しさを拭い去る事ができなかった。
刹那はいつも近くに居てくれる。 でも、心は近くに居ない……
その感覚が木乃香に寂しいという感情を抱かせる。
その感情は木乃香の中でどんどん膨れ上がっていった。
木乃香と距離を置こうと決めた刹那だが、昔のように影から護ろうとは思っていない。
占い研の活動がある日は、今まで通り護衛として占い研の部室へ木乃香を迎えに行く。
「失礼します」
そして、いつも通り刹那は部室の中に入る。
部室には大まかに分けて二つの顔がある。
この前のように、活動中で賑やかな部室。
それとは対照的に、木乃香一人しか居ない静かな部室。
今日は後者だった。
木乃香は窓際に佇み、入り口に立っている刹那を静かに見つめていた。
「すみません、お待たせしてしまいましたね」
刹那が話しかけるが、木乃香は何の反応も見せなかった。
「どうしたんですか、お嬢様? 早く行きま」
「行かんといて! どこにも行かんといてよ、せっちゃん!」
刹那が心配して木乃香に歩み寄ろうと動いた瞬間、木乃香の中の感情が爆発した。
「このちゃん……?」
只ならぬ雰囲気に、刹那は知らず知らずのうちに昔の呼び名を呟いていた。
「ずっと…… 一緒なんやから…… これからはずっと一緒なんやから…… ウチが一番せっちゃんの事好きなんやから!」
今の木乃香に普段のはんなりとした雰囲気は無い。
泣きながら、ただ、必死に刹那に自分の思いを伝えようとしていた。
その気持ちが通じたのか、刹那の目からは一筋の涙が流していた。
「…… 私も…… 私もこのちゃんが一番好きです…… でも山神さんのこと……」
「え…… 何のこと?」
「だ、だって、お嬢様は山神さんと付き合って」
「そんなんありえへんよ。 だって咲ちゃんはせっちゃんが好きなんよ? …… あれ? せっちゃんは咲ちゃんと付き合う為にウチから離れたんとちゃうの?」
それを聞いた刹那は木乃香に駆け寄ると少し乱暴に木乃香の頭を両手で挟むようにして固定し、木乃香の目を見つめた。
「話して下さい! 全て」
「話すも何も…… 咲ちゃんからせっちゃんと仲良うなりたいから協力してってお願いされて、せっちゃんのこと色々教えてあげてただけやえ……」
刹那の険しい表情に圧倒されながらも、木乃香は自分と咲の関係を話した。
刹那は木乃香の行動を思い出す。
学校の廊下で木乃香が刹那の手を振り解いた時を。
咲の思いを知っている木乃香が、咲を気遣ってやったのだとしたら?
咲の思い人を刹那に置き換えても特におかしなところは無い。
「え、じゃあ山神さんとは何も……?」
「そないなことウチ言った?」
「言ってません……」
刹那の表情が、今までの険しい表情から笑顔へ変わる。
「そっか…… よかった……」
「ウチも……」
安堵した刹那の呟きに木乃香も同調する。
「なぁ、せっちゃん?」
「はい?」
「ウチのこと…… 好き?」
「大好きです」
「ず〜っと一緒やよ?」
「はい」
「ちゅーしてくれる?」
「う……」
それまで穏やかな表情で木乃香の質問に答えていた刹那の顔が引きつる。
「ちっさい時はウチに黙ってしとったくせに〜」
「そ、それより、何で山神さんに協力なんてしたんですか?」
これ以上この話題が続くと断れないと判断した刹那は無理やり話題を切り替えた。
木乃香はあまり気にした様子も無くその問いに答える。
「せっちゃんは絶対に他の人んとこなんか行かへんかなーって」
「まぁ、それは……」
「それにな」
「それに……?」
「珍しいカードくれるって言うから、つい」
「……」
協力した理由に刹那は返す言葉を失ってしまった。
何の反応も示さない刹那に木乃香は不安になってくる。
「せっちゃん、怒った?」
「…… ええ。 私をカードで売ったお嬢様にはお仕置きが必要そうですね」
トーンを落として言う、刹那の言葉に木乃香は怯え始める。
「お仕置きって何する気なん? せっちゃん……」
刹那は左手を木乃香の目の前に持っていき、デコピンの形に指をまるめる。
「一応、目閉じてくださいね」
木乃香はギュッと目を閉じて、デコピンの衝撃に耐える準備をした。
しかし、木乃香の額に痛みが訪れる事は無かった。
代わりに一瞬だけ柔らかい何かが額に触れた。
「え?」
木乃香は予想外の出来事に驚いて目を開けた。
すると、目の前にはいたずらに成功した子供の様に笑っている刹那の顔があった。
「これでチャラです。 それでは、誤解も解けて一件落着したことですし、帰りましょうか」
刹那が優しく話しかけるが、木乃香はどこか不満そうな表情をしていた。
「あの…… お嬢様、どうかしました?」
「おでこやった…… それに不意打ちやったし……」
それを聞いて刹那は木乃香が何に不満を持っているのか納得した。
「諦めてください。 お嬢様が満足したら罰にならないじゃないですか」
「むぅ…… せっちゃんのケチ」
刹那に宥められながらも、木乃香は釈然としない表情をしていた。
「はぁ……」
木乃香との誤解が解けてからというもの、刹那は毎日のように溜め息を吐いていた。
「また咲ちゃんついて来とるん?」
「ええ……」
誤解が解けた翌日、木乃香はこのまま咲の応援を続ける事はできない、と咲のお願いを断った。
木乃香という有力な味方を失った咲は、自力で刹那に近づこうと、刹那の後をつけることが多くなっていたのだ。
刹那一人の時ならば、それほど気にしないのだが、今は木乃香と一緒に下校中。
「仕方ありません…… 撒きましょう」
木乃香と二人きりの時間を邪魔されたくない刹那は、木乃香を連れて校舎の門を曲がると
「お嬢様、失礼します」
木乃香を抱えて校舎の屋根の上まで跳んだ。
屋根伝いに移動して駅に着いたところで刹那は木乃香を降ろした。
「さすがに、これだけ距離を離せば大丈夫でしょう」
「そやね。 …… なぁ、せっちゃん」
「何ですか?」
「前言うとったクリスマスプレゼント、今決めてもええ?」
「構いませんが、もう日にちが無いので簡単に用意できるものぐらいしか……」
「それなら大丈夫やえ。 だって、ウチが欲しいんはせっちゃんやから」
「え……?」
その言葉を鵜呑みにして、刹那は顔を真っ赤に染める。
「せっちゃん、顔真っ赤にしてどうしたん? エッチな事でも考えたん?」
「いっいえ、別に……」
木乃香はニコニコしながら、真っ赤な刹那をからかった。
もちろん『欲しいんはせっちゃん』発言の真意は刹那の考える通りの意味。
日に日にエスカレートしそうな咲のアプローチに不安になる気持ちから、ポロッと出てしまった木乃香の本心。
だけど、それを正直に伝えてしまうと、今の関係が壊れてしまいそうな気がして、木乃香は自分の気持ちを誤魔化す。
「ウチはただ、クリスマスをせっちゃんと一緒に過ごしたいだけやえ」
「…… それだけで良いんですか?」
「じゃあ……」
木乃香はほんの少しだけ考える仕草をした。
「クリスマスに一個だけウチのお願い聞いてくれへん?」
「私に叶えられる事なら……」
木乃香のお願いが想像できない刹那だが、満更でもなさそうな表情でそれを承諾した。
クリスマス当日、木乃香は何をお願いしたのか?
刹那はそれを叶える事ができたのか?
その結末を知っているのは、木乃香と刹那の二人だけ。
-end-
前編