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133 名前: ◆AIo1qlmVDI [sage] 投稿日:2008/05/13(火) 19:01:08 ID:Ixs3zxBT
ぽたりとこぼれたそれが涙であると気が付いたのは、膝に落ちたそれに風が流れて筋を作ったから。
膝で涙が一筋、透明な道を造っていた。春風がかすむ様にそこに触れていく。
……泣いている。
どうして泣いているんだろう。
せっちゃんて、だれ。
わたしのだいじなひとの名前じゃない。
それなのにこんなにも優しく響くのは、どうして。
せっちゃんて人、死んだの?
それなら、わたしは……悲しい。そのひとのこと知らないけれど、きっと悲しい。
どうして悲しいの。
どうして、どうして、どうして。
……どうして。
わたしはだれだからそのひとが死んだとしたなら悲しいの。


135 名前: ◆AIo1qlmVDI [sage] 投稿日:2008/05/13(火) 19:02:48 ID:Ixs3zxBT
「忘れるということは消え去ること。消え去るとはその存在が死んでいくこと。言い換えれば忘れることがなければその存在は死なないんだ。
けれど保持しようとした者もいつかは死んでいく。だから結局は偉人でもない限り人は死ぬんだ」
「……極論だ」
「極論?事実さ」
不自然に折れ曲がった腕自分の腕をまるで人事のように見つめながら詠春は思う。
……人とは、なんと弱い生き物なのだろう。
「事実を認めそれと向き合い、抱え、そして初めて前に進むことが出来るのだと君は感じないか」
「一意見として肯定はするが君への積極的賛同というカタチでは残念ながらしかねるね」
「へえ?どうして?」
「……事実を事実と認められないような者の言う言葉じゃない」
く、という小さな声の後に詠春が聴いたのはどこか狂気染みた笑いだった。
「待ってよ、それは僕が現実を見ていないみたいな口振りだ」
「口振りもなにもそう言っているよ」
「あははは、君に言われたくないなあ」
暗く湿った地下牢でその声がいやに響く。反響するそれは詠春の耳に塞ごうとも届いただろう。
「君はあのお嬢様の中では死んでいるんだよ。存在が消されているんだからね。会えば思い出してくれる……なんて甘い希望も通らない。
君が僕に手を貸してくれさえすればこんなことしなくても済んだのに」
「どう転ぼうと君は木乃香の記憶を消すだろう……、同じ事だ」
「……嫌な言い方だな、それ」
しゃがみ込む男の顔は部屋が暗いせいもありほとんど見ることが出来ない。だが、そこに在る紅い瞳は見えるような気がした。
「……ふ、記憶を消すだけならまだいいかもしれない」
詠春は項垂れながらそう呟く。記憶を抹消された個体が何に使われるのか、知っているのだ。
「…………僕が嫌い?」
「君にとって朗報だ、嫌いにはなれそうもない」
「……そう」


136 名前: ◆AIo1qlmVDI [sage] 投稿日:2008/05/13(火) 19:03:32 ID:Ixs3zxBT
「君は……憶えているのか」
「何を?」
「彼女の事を」
詠春と同じ姓を名乗る小柄な青年は少しだけ声を詰まらせたが、それは一瞬だった。
「憶えているよ」
「日記に頼った記憶で、か?」
「……そうだよ」
「刹那君と記憶の共有はしているのかい」
「多少ね。でもあまり使うこともない」
「刹那君は知っているのか?」
「僕のこと?」
「ああ」
「……知っている、というよりは……思い出した、と言った方が語弊ないね、僕を見て一度は怯えたから。でもこれって獅子が鏡に映る自身に向かって吼えるのと差異ないよね」
「刹那君は……、自分が化け物だと思い込んだままか」
「……そうみたいだね。化け物は……僕だけで十分だ」
不意にひとつの顔が浮かんだ。
それは、甘いものに目が無かった可愛い弟の顔だ。いつか作ってやった菓子に随分喜んでいた、ふたつ下の弟。
口が悪く突っ掛かるような話し方をする彼を嫌う者も多かったが、根は優しいことを兄は知っていた。
化け物である自分をいつも不器用ながら気に掛けてくれていたことを、憶えている。そしてその弟が殺されたことを、「憶えている」。
憶えているから、……………………。
「……救いたいかい」
急に黙り込んだのを怪訝に思ったか、詠春が小さく声に出した。
「化け物が何を救うっていうの」
「化け物だから、何も救えないのか?」
ほとんど単語を変えずに返されたその質問に答える者はいなかった。だから、そのまま言葉を繋げる。
「僕はね、……兼くん。
そんな馬鹿な話はないと思うよ」
「馬鹿は君だ、詠春」
「……救えるさ。君の弟を、大切な人を、そして過去を」
「……自分さえろくに面倒見られない人間が言うことじゃないよ」

詠春は少しだけ笑った。
そして誰にも聴こえない声で呟いた。

君のその名を、履き違えてはいけない。
……その名が付いたことは、奇跡なのだから。

予てよりの、定め。
兼ねた、定め。

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