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◆AIo1qlmVDI 氏
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605 名前: ◆AIo1qlmVDI [sage] 投稿日:2008/03/26(水) 21:23:18 ID:XoMCE4z+
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霜月、十九。天候、雨。
靄がかかったような記憶の乱れ。少量の動作で息切れる。
湿気の所為か、今朝見たら筆がかびていた。日当たりのいい場所、探す。
羽根を使うべきか迷う。極力その私用は控えたいけれど、今の体調がその判断は間違いだと指摘している。
何も消したくはない。でも、知らない思い出が増えていく。
酷く複雑な気分だ。けれど、これが事実であり現実だという事を僕はその瞬間まで保持し続ける必要がある。
同月、二十三。天候、晴。
体調、極めて良好。
一昨日の日記の記述に違和感。
忘れてしまう事がこんなに絶望的なことだとは思わなかった。もしかしたら書き残しがありはしなかっただろうか。そんな後の祭とも杞憂とも知れない憂鬱に襲われてばかりで、体調は良くても気分は悪い。
分単位で残しておきたい。容量の問題ではないことは理解している。
今はっきりと残っている記憶でさえ消えてしまうなんて本当に信じ難い。書き残すことに限界を感じる。
同月、二十四。天候、晴。
何年単位で消費するのかの配分が掴み切れない。
うかうかしていれば僕の限界が来てそこだけぽっかりと抜け落ちてしまう。
だがひとつだって無駄には出来ない。僕自身に掛かっているのだろうか。気が付いていない記憶の陥没がある可能性が怖い。
手が墨だらけで、黒い。時間が無い。記憶の保存にばかり手を回していられるわけでもないのが悔しい。やるべきことは山より高いのに僕の力は全く以ってそれに追いつけない。
間に合わないのか。気魄が足りないのか。
酸味が恋しい。一通り済ませたら仕入れておこう。
同月、二十七。天候、曇。
空が嫌に仄暗い。快晴なら少しは気分も晴れるのに。
カラスが軒先に止まった。羽が黒いのが癇に障る。
捻り殺してやろうかと思ったけど、やめておく。飛び立った所に足下の石を投げつけて殺した。
呆気なくカラスは死んだ。だから屍骸を焼いた。燃えが悪かった。
生きていたんだな、と思った。
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606 名前: ◆AIo1qlmVDI [sage] 投稿日:2008/03/26(水) 21:24:35 ID:XoMCE4z+
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鉄の味がする、と思った。
釘をぐじゃぐじゃに丸めたものを口内に放り込まれたみたいだ。それで口の中が切れているような気さえする。
けれど、鉄はおろか釘だって口に入れたことは一度だってない。それなのに感覚は間違いなくこれは鉄だ、と主張していた。
……わかっている。
口の中で血が流れているからそう思うんだ。
どこかで口を切ったんだろう。ぬるぬるするような、熱いような……、とにかく気分のいいものではない。
世界が闇で構成されていて何がなんだかわからない。今が昼か夜か、死んでいるのか生きているのかすら。
記憶がぷつりと途切れている気がする。頭が痛い。
頭が痛い……?
違う、どこが痛いのか本当は分らない。でも多分どこかは痛い。
血が出ている。沢山出ている。
どこから出ている?どこが切れている?
わからない、わからない、わからない。
此処はどこなんだろう。少し暖かい気がする。音が聞こえない。夢を見ているのかもしれない。
夢ならもう少し目覚めのいいものを見させてくれてもいいだろうに、こんな訳のわからない闇では夢を語る資格を問いたくなってくる。
望む夢なら即座に答えることが出来るから叶えてくれないか。会いたい人がいるんだ。
私のことをまるで忘れてしまったかのように見えたけれど、でも。
きっと大丈夫だ。何の根拠も確証もないけれど、断言する。
アスナさんも居る。だからお嬢様は、きっと…………。
……ああ、だけど、
今…………何処に?
……………………………………。
「起きた?」
再度消え掛けた意識を引き摺り戻したのは、聞き覚えのある声。霞む目が声の主を捉えようと虚ろに動く。
「死んでる筈はないと思うんだけど」
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607 名前: ◆AIo1qlmVDI [sage] 投稿日:2008/03/26(水) 21:25:54 ID:XoMCE4z+
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少し広めの和室。障子を透かして柔らかい光が入ってくる。
見慣れない天井が広がる其処に見覚えはなかったが、刹那を諭す人物には間違いなく見覚えがあった。
見覚えがあったどころか、ついさっきまでコレに殺されかけていたのだ、忘れられる筈がない。
前髪で覆われた陰気な印象を与えるその顔を見た瞬間に全ての記憶は舞い戻る。刹那は一瞬にして意識を尖らせた。
「が、…………っ、?!」
反射的に起き上がろうとしたが、腹部に今まで経験したことのない程の激痛が走りそれは無駄に終わった。
「駄目だよ君。死に掛けてたんだから」
声の主は穏やかな口調でそう淡々と言った。穏やかでない事項を穏やかな声で言うのでそれはどこか現実味が薄い。
声を発することも難しい激痛に数秒耐える。息をするだけで抉られるように痛んだので目を瞑り息も止め、腹を抱えるように背を丸めた。
背中ががら空きなのが、剣士である桜咲刹那にとってこの上ない屈辱だった。
痛みに慣れていないわけではない。職業……と言っていいのかはわからないが職業柄怪我には慣れているし、流す血に恐怖したこともない。
だが、今刹那を苦しめる激痛は文字通りのものだった。耐える、耐えられないという問題ではない。
……額を大粒の脂汗が流れる。
どろりとしたそれは額から離れずにこの苦痛を他者にも分り易い形で視認させるために齎されたかのようだった。
ぎりぎりと歯を噛み締めてただ耐える。
敵を前にしてこの有様なのか、と自身に檄を飛ばすが全くの無駄だった。痛みというものは自制が利く類の感覚ではない。精神力で痛みを緩和出来るのならば刹那はとうに走り回れていることだろう。
長い長い数秒の後、男が口をついた。
「やせ我慢は良くないよ。痛いのなら痛いと言ったらいいんだ。
……ああ、でもある種の鳥なんかは怪我を隠すっていうからねぇ。君もその例に漏れず、なのかな」
鳥であることを前提に話すこの男に敵意を込めた眼差しを送る。が、それは彼の言う通りやせ我慢から来る虚勢であった。
「痛いだろ?腹を貫かれたんだ。いや、痛くないはずがない。
僕はそんな間抜けな真似は晒さないけど、実際腹を何かが貫通したとしたら痛いだろうなあ、とは簡単に予想が付くね」
ふふ、と薄気味悪く笑うソレを出来る事なら斬り付けてやりたいのだが、身体は回復に全てを回してくれと懇願していた。
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