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701 名前: ◆AIo1qlmVDI [sage] 投稿日:2008/04/10(木) 17:28:27 ID:8mkEPMqd
……紅い瞳と、白い羽根。
「キミも持ってる」
その一言に、従者は固まったように少女を見た。
少女は従者に近寄り、少し背伸びをすると長く伸ばされたその前髪に触れた。
親指でずらすように前髪を除ける。
月明かりが従者を照らし、その顔を映し出す。

白い肌にふたつ……紅い、瞳。
どんな葡萄酒も敵わぬだろう深い真紅が其処にある。
まるで……血のような混じり気の無い赤。

「この眼、夢で……見た」
「僕が」
「……わからへん。
でも、この眼と……白い、羽根……が、いつも……」
「夢占いでもさせましょうか」
「……いい」
「そうですか」

静かな夜に、紅い瞳を持つ者と何かを忘れた少女が佇む。
……そう、静かな夜だった。
そして、その静けさの理由を理解している者もまた、存在した。
「お嬢様」
「うん?」
「僕のことでしたら呼び捨てで構わないのですよ」
「……うん」
「『キミ』だなんてお嬢様、大企業の社長のようですね」
「……そういう意味やないもん」
「承知しておりますよ」
弱く、風が吹いた。
「……それに、年上やん」
「ですが僕はあなたの従者です」
「他の人に呼ばせてあげたらえーんちゃうの?」
「他の人?」
少女のつま先で蹴られた小石が僅かな砂煙を上げる。
「この家にはお偉いさんいっぱいおるやろ?その人たちに呼んでもらい」
「お嬢様に呼んで戴きたいのですよ、僕は」
「……なんやそれ」
ふ、と苦笑するように笑ったその表情に従者は目を細めた。
……月が美しい。
そして、水面にこの月を映す小さな池もまた、美しい。従者は小石を緩く放り、それが描き出す波紋を見つめた。
しかし彼は思う、……何より美しいのは自分の前に立つ少女だと。
長く伸ばした黒髪が今日の夜と月にどこまでも映えていた。
「記憶が戻られたら」
「うん?」
従者は言葉を一度切った。
そして、言おうとしていた言葉は捨て、当たり障りの無いものにさし変える。


702 名前: ◆AIo1qlmVDI [sage] 投稿日:2008/04/10(木) 17:28:52 ID:8mkEPMqd
「お嬢様の記憶が全て戻られたら、また学校にも行けますよ」
「……うん。
なんで……忘れちゃったんやろね」
「何か……辛い事でもあったのかもしれませんね」
「つらい、こと」
小さくそう呟いた少女の頭を従者は優しく撫でた。
「大丈夫ですよ、……必ず、思い出せる日が来ますから。
それまでは此処に居ましょう、僕は片時も離れずお傍に居ります」
「……ありがとな」
少女は弱い笑みを彼に向けた。彼もまた、にこりと微笑み返す。
微笑の陰で少女は別のことを考えていた。今彼の言った言葉に何かがざわめくような感覚を覚えたからだ。
だれかが良く似た事を言ってくれた。そして、それをとても嬉しく思ったような気がする。
わからないけれど、でも。
その言葉をくれた人。
その人はとても大切な人だったような、そんな……霧の向こうの予感。
……誰?
あなたは、誰?
夢の中で血みどろになって泣いていたのは……あなた?
紅い瞳、白い羽根。
そのふたつが脳裏をちらついて離れない。
「お嬢様、本当に風邪を引かれますから」
従者の声がそれを断ち切った。……確かに少し冷える。
「……うん」
「さ、行きましょう」
従者は白い手のひらを差し出し屋敷へ帰ることを促した。あまり背の高くない彼であるが、小柄な少女と並ぶと大きく見えた。
彼は少し身長を気にしている節があったので、だから自分と並んで歩きたがるのかもしれないな、と少女は思った。
「なあ」
「はい」
屋敷へ続く砂利道を歩きながら少女は声を掛ける。その目は今宵の月に注がれていた。
「今夜の月、綺麗やね」
「そう、……ですね」
「ウチな、さっきこれ誰かに見せたい思ーてな?でも、それが『誰に』見せたいんか、自分でわからんかった。
誰に見せたい思たんか、それが思い出せんくて、なんか……むず痒い感じや」
「……それも含めて、ゆっくり思い出しましょう。お嬢様の生まれ育ったこの家で」
しばらく、広大な日本庭園を敷き詰める砂利を踏む音だけが響いていた。
綺麗に整えられた松の木や、鯉を泳がせた池、白い砂利道。そのどれもが知っているものに違いなかった。けれど、なにかが違うような気がして、落ち着く事が出来なかった。眠ればあの夢を見たし、記憶を失くしたことは焦燥に似た思いを感じさせたのだ。
「誰に、見せたい?」
「え?」
「この月。キミは見せたいって思う誰かがおる?」


703 名前: ◆AIo1qlmVDI [sage] 投稿日:2008/04/10(木) 17:29:29 ID:8mkEPMqd
「僕ですか」
「他に誰がおるん?もしかして幽霊でも見えてる?」
まさか、と笑う横顔を見て少女は、自分は誰に見せたいと思ったのだろうと再度自問する。
何を忘れてしまった?
それはとてもとても大切な事?
「僕がこの月を見せたいと思う人は……もう居ませんから」
「……ご、ごめん」
またも思考の海に潜りかけていたが、彼のその答えで我に帰る。
「いえ。何れお話出来れば、と思っていましたから」
「……亡くなって、しもうたん?」
「……そうですね。随分昔に。
……あはは、そんな顔なさらないでください」
「だ、だって、何か言いたいのになんて言えばええかわからへんから……」
「ふふ、お嬢様はやはりお優しい。
確かにその時は悲しかったですよ。彼女が死んだ時は涙と声が枯れるかと思ったものです。
でも、彼女は僕に沢山の思い出を残してくれた。僕が寂しくないように、生きている間に数え切れないくらいの笑顔をくれた。
だから辛くはありません。それを糧にすることが出来ましたから」
「……ウチやったらがまん出来ひんかもしれん……寂しがりやから……」
「思い出、というのは過去の記憶に他ならないですが、過去だからこそそれを踏まえ生きる事が出来るのです。
会えないことはそんなに絶望的な事象ではないのですよ」
「……まだ難しいことはわからへん」
「分ってしまったらそれはお嬢様が一番大切な人を亡くした時でしょうから理解できない方が良いでしょう」
彼はそうなんでもないことのように笑った。
けれど少女は、理解は出来ずともこの優しい従者の抱えていたであろう悲しみをほんの少し、掬い取れるような気がした。
「誰か、他の誰かがまたキミのこと想ってくれたら……ええな。
つらいこと……半分に出来る人ともう一度逢えたら、ええなあ」
「……はは。ありがとうございます」
従者は少女を見た。
少女も彼を見た。
互いに互いの到達点を願うように。
その先に見えるものが何なのか知らずとも、ただ……願った。
砂利道を越え、石畳にまで来た所で従者が言った。
「輪廻転生を信じますか」
「……どうやろ。あるとしたなら、ええね」
「?
何故ですか」
「必ずまた逢えるってことやん。
輪廻の輪があるなら時間は掛かっても、キミの大切な人はまたどこかに生まれてくれるってことやろ?それなら、待ってるんもつらくないかもわからんし」
「……そう……ですね」
「あったらええのに。
ウチ、その大切な人とキミを逢わせられるんやったら何でも協力したる」
日ごろの感謝を込めてな、と付け加え、少女はいたずらっ子のように笑った。


704 名前: ◆AIo1qlmVDI [sage] 投稿日:2008/04/10(木) 17:30:11 ID:8mkEPMqd
少女を自室まで送り、静かに閉められたドアを背に従者は一人溜息を吐いた。
……輪廻転生。
それは間違いなく存在するものですよ、と言ってしまいたかった。
あんな言葉を言うのは彼女が、やはり……。
(何を今更……)
後ろ手に触れたドアが妙に熱く思えて仕方ない。
夢を見た、と言っていた。
いい傾向だ。その内容もまた、好ましい。
カグラザカアスナ周辺の記憶はもう既に全て抹消した。それには氏家鷹峰に連れ去られかけたことも含まれる。……余計な記憶だ、必要無い。
少女が触れてきた髪を自分自身も触れた。
……何かを思い出しそうな気がする。袂に忍ばせた古い和綴じの古書を取り出し、ぱらぱらと捲った。だが、特にそのことについて記述は無い。重要な事項ではなかったのだろう。
本を閉じ、無邪気な笑顔を思い返す。
きっと本心から僕に協力する、と言ってくれたんだろう。
あの笑顔もいずれ消してしまわなければならないのは残念だった。出来るなら時を真空にして取っておきたい。
きっと、『あんな風に』笑ったんだろうな。
僕に翼はもう無いけれど。でも、代りはきちんと現れた。
(傷は癒えたかい、翼の姫君)
君は僕で、……僕は君。
「大切な人なら輪廻を巡り……、
…………もう、僕の元に生まれてきてくれたよ」

扉の向こうに囁くように、近衛兼定は呟いた。

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