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◆AIo1qlmVDI 氏
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741 名前: ◆AIo1qlmVDI [sage] 投稿日:2008/04/19(土) 18:39:35 ID:5Pz1Ybk6
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ゆっくりと瞼が動き、ひとりの少女が目を覚ました。
まるで百年の眠りから覚めた御伽噺の姫のように、そっと。
(…………痛い)
体のどこかが少し痛む。
でもどこが痛いのかわからない。もしかしたら気のせいかもしれない、と少女は思い一度閉じかけた瞳を再度押し開いた。
そこにあったのは、見渡す限りの白だった。
どこを向いても白なので、目を覚まして数秒は自分が宙に浮かんでいるかのような錯覚に陥ったほどである。
しかし、見渡す限りとは言ってもその空間はせいぜい十畳ほどであったので少し齟齬があるかもしれないが。
だが少女にとってはその表現がどれ程の面積を有する土地に使うべき単語なのかという定義決めはどうでも良かったし、聞かされたとしても直ぐに忘却の彼方へ飛んでいくことだろう。
それにここは異空間でもなんでもないただの部屋なので少女がごく普通の現実を取り戻すのにそう時間はかからないはずだった。
白い壁で構成された部屋の真ん中で体をパイプベッドに横たえ、自然視界に映ることとなる天井を、たたただ見つめていた。まるで、そうすることしか知らないかのように。
ただ白いだけの天井。眺めていても何の暇潰しにもなりはしないだろう。しみのひとつもあれば生活感も伺えるというのに、この部屋にはその手の『人が暮らしていた痕跡』が欠片もなかった。
少女は自分の呼吸音だけが響くこの部屋で何かを考えていた。取り留めの無い……、何かを。
記憶が酷く曖昧だった。まず、名前が思い出せない。何故ここにいるのかもわからなかった。だから天井を見つめた。まるでそこに答えが書かれているのだと信じ込んでいる人のように。
長い髪が簡素なベッドの上に広がっている。それに触れて初めて少女は自分の髪が長いことに気が付いた。上体を軽く起こしてみる。……少し、目眩がした。
辺りを見回してみる。
仰向けの時には気が付かなかったけれど、ごく簡単な家具が備えられていた。
小さな三脚の台の上に透明な瓶が置かれている。七分目位まで中に何かが入っているように見えた。……飲み水だろうか?
けれどそれを確かめに行くでもなく、少女は再度体を横たえた。
……ここはどこなんだろう。
しかし考えても分かる筈も無く、少女は瞳を軽く伏せた。白い電球の光は網膜を通すとぼんやり赤い光へと変わる。
……赤。
…………白。
安全か危険か、ここがどういった場所なのかもわからないのに少女は特に取り乱すでもなかったが、このふたつの色はそんな少女の心に波を立たせた。
何かが頭の中でざわめいている。
自分は何かを知っている。
このふたつを知っている。
それなのに手掛かりや切掛けとなるものが頭の中をいくらまさぐって探しても出てこない。これはきっと思い出さなければならないこと。そう心が警笛を鳴らしている。
耳を塞ぎぎゅう、と目を瞑る。
これは、……何?
ああ、その前に。
……わたしは、わたしは……誰?
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742 名前: ◆AIo1qlmVDI [sage] 投稿日:2008/04/19(土) 18:40:15 ID:5Pz1Ybk6
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再び天井を見上げ、手を伸ばしてみた。その先と同じくらいに白い自分の手のひらが見えただけで何も変わらない。血色が悪いのかこの部屋の色に目が感化されているだけなのか。
どちらにせよ、少女には自分が何者なのかを知る手立ては現時点では皆無でありその努力もまた、無駄だった。
白いだけだと思っていた部屋の片隅に鏡が掛かっていた。そっと足を下ろしそこまで歩く。少し、よろけた。
鏡に映るのは、長い黒髪の少女だった。少々血の気がなく見える。名前はわからないけれど、ここに映る者が自分である事は断言できた。
誰がわたしを知っているだろう、と少女は思った。
あの人に聞けば答えてくれるだろうか。名前を呼ぶととてもうれしそうに笑ってくれる、……あの人に聞けば。
……でも。
あの人って、誰?優しい声のあの人は……誰?
どうして知っているんだろう。自分の名前もわからない、何も、何も……わからないのに。
何故その顔が浮かんだのかわからずに鏡の中の顔が少し眉根を寄せた。
照れてあまり言ってはくれなかったけれど、時々小さく名前を呼んでくれた。
声と同じくらい優しい眼をした、ひと。
一生懸命なところ、可愛いと思っていた。いつか言ってくれた言葉、嬉しかった。だけど何と言ってくれたかはわからない。でも、嬉しいと思った、……思ったことを、心が憶えている。
背を……気にしていた。「小さいなあ」ってからかったら、少し困ってた。
……いつのこと?いつ交わした言葉?
知らないのに知っている。あの人を、知っている。
突然細切れになったような記憶がいくつもいくつも頭の中に入ってきた気がして、少女は背を丸め縮こまった。そのままでいたらどこかからこの記憶が流れて消えるような、そんな予感がしたから。
暖かいものだと思った。
この人との記憶は、きっと優しくて暖かいものだった。分からないことだらけだけれど、それだけは妙に確信を持てた。
涙、ひとつ。
ぽたりと突然、滴が服の袖に染みを作る。
見覚えの無い記憶の中で、この人がとても悲しい眼をしている映像がフラッシュバックのように脳裏に描かれた。それはきっと、……優しい記憶の裏側。
たくさんのものを失った。
たくさんの人が悲しみ、吼えている。
その中で、わたしは……………………?
何かをしようと、走った。
だって、
……ずっと一緒に居たかった。
あの人と、ずっと一緒に居たかった。
桜色の景色の中で、手をつないでいたかった。
桜を見て、綺麗だねって言って、そして全く同じ言葉が返ってくる。そんななんでもない時間が、どうしようもなく……愛しかったから。
きっと存在していた、そんな日々。
それを、守りたかったから。
からかうと眉を下げて少し呻く顔が、照れた笑顔が可愛かった。
あの人のことが好きだった。
とてもとても、…………好きだったから。
自分がそこにあるのは間違いないと思った。あの人が呼んでくれたらきっとわかる。
痛んだのは、きっと……消えた記憶の中にある心。
どうして会えなくなったのか、少女はわからずに一言だけ呟いた。
少し震えた声で紡がれたその名前は、白い部屋に吸い込まれ消えていった…………。
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743 名前: ◆AIo1qlmVDI [sage] 投稿日:2008/04/19(土) 18:41:26 ID:5Pz1Ybk6
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「突っ込む所だって今気付いたんですけどいいですか」
「なんだい」
「あのEとかいう奴のことです」
「ほう。何かな」
「先生、Eは鷹峰の鷹を意味するイーグルから来ているって言いましたけど、鷹ってホークですよね。イーグルは鷲ですよね」
一瞬止まってから、高畑は0点のテストが見つかってしまった小学生のような顔をした。
「うん、……そうだね」
「そうだねって……
教師がそんな簡単な英語間違えてどうするんですか」
千雨は呆れたように言いながら眼鏡を少し押し上げる。
しかし高畑が間違えているのは英単語ではなく、千雨にリベンジを申し込んだことだった。嘘をつくのが下手だと指摘されたので無表情でいれば勝機があるだろうと読んだのである。
結果は惨敗。
無表情を作ったことで、確かにババ抜きの際にジョーカーがどれかはわからなくなった。が、それも一瞬わからないという意味に変わっただけで、千雨から見ればババは透けて見えているようなものだった。
高畑はジョーカーを千雨が取り掛けると指がうんと緩まり、ジョーカー以外を取られそうになるとさせまいと親指に力がこもったからだ。
簡単に抜ける札がジョーカー。そんな公式が出来上がるのにさしたる時間は掛からなかった……。
罰ゲームに次ぐ罰ゲームで高畑はすっかり車内販売のお姉さんに変態を見るような目を向けられているし、近隣の乗客からもひそひそ声で囁かれる始末。
そんな中年男が明らかに自分よりひと回りふた回りは下の少女といるとなるといよいよ高畑を見る乗客及び添乗員の目は厳しくなる。
だが高畑は空気が読めない男だったのでそれには気が付いていなかった……。
千雨としてはこの天然眼鏡教師にひとつ赤恥をかかせてやろうなんて思っていたのだが計画は相当失敗しているようだった。
「いや、すまない、自分のペースで話していたからつい略してしまったらしい」
「略……?」
猫耳と巨○の星アイマスクを外し、代わりに眼鏡を取り耳に掛ける。そして観念したように飲みかけの缶コーヒーをあおると小さめの声で言う。
「あまり大きな声で話せる内容ではないから降りてからでもいいかい」
いいですよ、と千雨が答えかけた時に車内アナウンスが間も無く京都に到着することを報らせた。
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744 名前: ◆AIo1qlmVDI [sage] 投稿日:2008/04/19(土) 18:41:50 ID:5Pz1Ybk6
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「……うわ、結構暑……」
「今日は気温があるからねえ」
「勝手なイメージですけど、京都って涼しいと思ってました」
「京も関東も同じ日本さ、沖縄と北海道は別物としてもね」
京都駅に降り立った二人は在来たりな会話を交わしつつ出口を目指す。二人が居なくなったことを完全に確認した後の車内の様子は語る必要もないだろう。
たくさんの人を吐き出し、新幹線が動き出す。その様を見ながら高畑は千雨に対し完全なる事の始まりを説明しなければならないのだろうか、とぼんやり思う。
人を騙すのは好きではない。だから些細なものを除けば嘘はあまりついたことがなかった。氏家鷹峰についても頭文字云々を話しただけで鷹と鷲を見抜かれた。やはり自分は正直に生きた方がいいのかもしれないな、と苦笑する。
しかし鷹と鷲を見抜くのは技術など一切いらないということに高畑は気が付いていない。小学生でも知っているだろう英単語の知識の有無なわけなのだから。
天然おちゃめな30代、高畑・T・タカミチであった……。
タクシーを拾い、ひとまず予定として3日を過す宿へと向かうことにする。運転手は乗り込んできた親子とは言いがたい年齢差の二人について言及したそうだったが、彼は空気を読めるほうだったので会話は観光客へ向けるそれだった。
「お客さん、どちらから?」
「え?
ああ、東京ですよ」
「ほぉ、東京かい。てっこたぁ新幹線で来なすったんですか」
「はは、ご名答」
「観光ですか」
「う〜ん、観光……したいところだけど生憎仕事です」
にこにこ笑いながら言うので、仕事にこんな少女を同伴させる理由はなんだ、とよっぽど聞いてやろうかと矍鑠の運転手は思ったがなんとか踏みとどまる。
やくざ者ってのは分かり易い奴ばかりじゃねえからな、と内心呟きながらハンドルを切る。今日は妙に車の往来が少ない。
「運転手さんは京者じゃないですね」
「へ?」
「言葉が違う」
「あ、ああ。そうですね、私ぁ国が東北ですから」
「転勤か何かですか」
高畑としては雑談に興じているだけなのだが、彼を特殊な人種だとやや決めかけていた運転手にとっては最早『詮索するな』との無言の圧力に思えてならなかった……。
運転手が早々に会話を切り上げたので高畑はそれ以上何か話を振るでもなく、窓の外を走る景色に目をやり始めた。
町並みは所々が細かく変わっていて、違う場所に来てしまったような感覚を高畑に与えた。
……あれからもう十年か。変わっていて当たり前だ、……街も、人も。
どこか諦めたように内心で呟いた思い。そこにはかつての自分と決意があった。
いや、……変わったのは俺だけなのかもしれない。
同じ思いを抱き続けることの難しさ、そして理想と現実。胸焼けのする過去に額を押さえた。
再び景色に視線を戻す。
不意に、見覚えのある茶菓子屋が景色に現れた。
「残るものも、……あるか」
「先生、独り言はせめて第三者にも意味のわかるもの限定で」
「え?」
「好きなメニュー取られた過去でも思い返してたんですか」
千雨が眼鏡を拭きながら言った。我に帰り、千雨を見る。
「長谷川君」
「なんですか」
「君は、………………」
気の遠くなるほどの時間の中で、何があろうと同じ想いを貫く事は出来るか。そう聞いてみたかった。
何故か、この長谷川千雨という人間に無性に聞いてみたかった。
どうしてだろう。その答えになんの期待もしていない。
だが。
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